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いざさらば我はみくにの山桜 母のみもとにかへり咲かなむ

散る花のいさぎよきをばめでつゝも 母のこゝろはかなしかりけり

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上の句は、特攻を決意した特攻隊員が、お別れに会いに来た母親の鞄に密かに入れていた辞世だそうです。
下の句は、その歌を発見した時に母が詠んだ歌だそうです。

緒方襄中尉は第一神風桜花特別攻撃隊神雷部隊桜花隊の隊員としてロケット特攻機「桜花」搭乗、鹿屋基地を出撃、昭和20年3月21日、九州南方洋上にて戦死しました。22歳でした。
彼の出撃前に任地に赴き、最後のお別れをした母三和代さんは、帰宅後、緒方中尉が密かに母の鞄に入れていた辞世を発見します。

以下の二句は、緒方襄中尉が出撃三十分前に鉛筆で海軍手帳に走り書きした絶筆の辞世です。
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清(す)がすがし花の盛りにさきがけて玉と砕けむ丈夫(ますらお)我は

死するともなほ死するとも我が魂(たま)よ永久(とわ)にとどまり御国(みくに)まもらせ
 
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桜が咲いているのを見ると、60年前に桜を見ながら出撃していったであろう特攻隊員達を思うようになってしまった。そして、その度に、「今の日本は彼らが命を賭けるに足りた日本だろうか、私は今の日本を彼らに見せて恥ずかしくないだろうか」と思う。
「南京大虐殺」の他に、中国と韓国が我が国に対して謝罪と賠償を求めている事項として「従軍慰安婦問題」がある。日本軍が、これらの国に駐留する際、現地の女性を略奪し、無理矢理日本軍専用の売春婦としたというものだ。しかしながら、「南京大虐殺」と同じく、「従軍慰安婦」も、実際は存在しなかった捏造事件である。
「慰安婦」というものは存在したが、日本兵が軍の命令で現地の女性を略奪したという事実は無い。ただ、日本軍の駐留先に、現地の女性を騙して売り飛ばす悪質な女衒が存在していた事は確かなようである(もちろんこの女衒は現地人である)。ちなみに軍が駐留する場所に慰安所を設けるのは、世界の常識である。

で、前置きが長くなったのですが、アメリカ下院で「従軍慰安婦問題で日本政府に謝罪を求める決議案」というものが通りそうらしい。私初めてこのニュースを知った時は、「日本が戦争に負けてやってきたアメリカ軍が、日本女性に何をしたと思っているのか」とモニタに向かってブチ切れましたわ。この決議案を提出したのはマイク・ホンダという日系の民主党議員ら。この決議案は、過去に8回も提出されながらことごとく廃案となっていたもの(8回出す方も出す方だ)。だから今回もそんなに大した事じゃないだろうという話でしたが、どうも今回は通ってしまいそうらしい。なんとかできないかと思い、メールなど送ってみるつもりです。
ぼやきくっくり | 【テンプレ】慰安婦決議案 米下院議員にメールを

下院議長のナンシー・ペロシ氏は初の女性下院議長。ちなみに民主党。
そしてこの決議案を提出した超党派の中心、マイケル・ホンダ議員。こちらも民主党。
この二人の背景には、SWC(サイモンビンセンタールセンター)という国際人権グループ団体がいます。
ペロシ氏はこの団体の後押しで下院議長となり、ホンダ氏はこの議会工作のエージェントだそうです。このSWCという団体の体質は反日の支那団体とのこと。
つまりアメリカにおける中国の反日工作が功を奏したのですな。中国の「とにかく日本を貶めたい」というブラックなパワーには本当に圧倒される。っていうかもう感心する。しかし感心しっぱなしでいるつもりは勿論ない。爺ちゃん達の名誉を汚されて黙っていられるかっつうの。
米下院慰安婦決議案・・・・SWCの影|きち@石根を参照しました)

米下院の議長以下全ての議員は、きちんとした歴史認識のもとに公平な判断を下す事を求めたい。
1941年の12月8日(ハワイでは7日)は…

「白人こそが地球上で最も優れた人種であるから、非白人達の住む土地を植民地化して、白人の文明をもたらしてやることが我々の使命だ」と信じ(これをアメリカでは「明白なる天意 Manifest Destiny」、イギリスでは「白人の責務 White Man's Burden」(ラドヤード・キップリング)と美しい言葉で表していた)、アメリカ・オーストラリア・アフリカその他の大陸に住む非白人の先住民族に対して、レイプを繰り返して混血児を多く作ったり、免疫が無い病気をわざと持ち込んで殺したり、体に焼印を押して船に詰め込めるだけ詰め込んで(死んだらそのまま海に捨てた)ヨーロッパに連れて行って奴隷として働かせたり、先住民族の子供を馬上から吊るしてスポーツ(ポロ)をしたり、「今日は何人狩れるか」と競争して、逃げ惑う先住民族達を馬で追いかけながら「踊れ踊れ」と笑いながらピストルで撃ちまくったり…などしていた白人達に対して、人類史上初めて、非白人民族が、ガチバトルを仕掛けてボコボコにしてやった日です。
(12/9 訂正…スミマセン、初めてじゃありませんでした。その前に日露戦争でやってました)

後世、色々とまずかった部分を指摘されたりもしていますが、しかし、その民族の子孫である我々としては、この日だけはそんな野暮な事はせず、ご先祖様の素晴らしい偉業を称えようではありませんか。

大日本帝国万歳!!


それではテンションの上がる動画をドウゾ。

pearl harbor niitakayamanobore
映画「パールハーバー」とサラ・ブライトマンの「クエスチョン・オブ・オーナー」を合わせた、超々有名な動画。もし中東のお友達がいるならば、一緒に肩を組んで拍手喝采しながら見ましょう。
(ところで、この動画のおかげで勘違いする人がいるかもしれないので念のために書いておきますと、「パールハーバー」はクソ映画ですw)
tora!tora!tora!
こちらは「トラ・トラ・トラ」バージョンです。(こっちの映画の方は超名作)

かく戦えり近代日本
私が生き神様と崇めるスタヂオイピョウのイピョーウさん作のフラッシュ。これまた超有名な物。なぜかサイトから消失していたので、別のサイト様へリンクを貼りました。
呉インターネット写真ニュース / 石坂浩二氏が「大和ミュージアム」へ寄贈

テレビ番組「なんでも鑑定団」でレギュラー出演をしている俳優の石坂浩二さん(65)が、番組で出品された戦艦『長門』の軍艦旗を自分で買い求め、きょう 本人の手で縁りある呉市の「大和ミュージアム」へ寄贈した。
大和ホールに特大の戦艦『長門』の写真を飾って行われた寄贈式は、石坂浩二氏が小村和年呉市長へ目録が手渡し、海上自衛隊のラッパ吹奏とともに軍艦旗が掲げられた。折よく訪れた大勢の入館者から盛大な拍手が贈られた。軍艦旗は、3.6m×5.4mの大きさで、艦尾に掲揚されていた。唯一生き残った戦艦「長門」は、終戦後アメリカに接収され、ビキニ環礁での核実験で1946年沈没した。挨拶に立った石坂氏は、「昨年、『長門』を接収した米海軍艦長の娘さんからテレビ番組へ軍艦旗が出品され、このような貴重な品は縁りある呉の「大和ミュージアム」で飾るのが一番ふさわしいと、自分が約1000万円で購入しました」「旗に込められた人間の思いが伝わってくれれば嬉しい」といきさつと思いを語った。寄贈された小村和年呉市長は『呉の宝物として大切に展示したい』と述べた。軍艦旗は、暫くの間「大和ホール」で見ることが出来る。

泣いたよ…。
石坂さんありがとう。
おかえり長門。

以前、日本の軍艦旗が「なんでも鑑定団」に出されたと聞いた時は、唾を吐きたい気持ちだったけど、こんなオチが来るとは思わなかった。
なんか、今、この文章を泣きながらタイピングしている自分がとてもキモイwwしかししょうがない。

第二回兵器史・「長門」型戦艦 ~Old Navy Never Die(海の古強者は死なず)~
[代田銀太郎氏死去/作詞家-四国新聞社-香川県ニュース]
代田銀太郎氏(しろた・ぎんたろう=「ああモンテンルパの夜は更けて」作詞者)7日午前3時56分、肺炎のため長野県飯田市の病院で死去、92歳。飯田市出身。自宅は飯田市松尾清水4467の1。葬儀・告別式は10日午後2時から飯田市松尾新井6544の1、メモリアルホール光和で。喪主は長男和信(かずのぶ)氏。

 第二次世界大戦中に憲兵としてフィリピンに赴任。戦後、戦犯死刑囚として刑務所に収容された。52年に渡辺はま子が歌い、ヒットした「ああモンテンルパの夜は更けて」を作詞。歌がきっかけとなって大統領による日本人戦犯の特赦、釈放につながったとされる。

代田氏の事を書く時間が無いのと、氏が作詞された「ああモンテンルパの夜はふけて」については、すでに素晴らしい記事があるので、そちらを紹介させていただきます。ぜひともお読み下さい。
[とりかご ギリギリなんだよ! - 奇跡の慰安歌手 渡辺はま子の物語 ]
よろしければNHK出版の「モンテンルパの夜は更けて」(中田整一著)も読んでみてください。

代田銀太郎氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
前回のエントリーで、右半分しか載せられなかった桜の枝を振って特攻機を送り出す写真ですが、ちゃんとした完全な写真を見つけました。
神風」内の兄弟恋人への遺書の下に載っている前田笙子さん日記です。一枚の絵のような美しい写真です。
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また、森山直太朗の「さくら」をBGMにした特攻隊の動画があったので貼ります。重いですがぜひご覧下さい。
また、この場所で会おう
阿川弘之「日本海軍に捧ぐ」内「『あゝ同期の桜』に寄せる」より
「昨日今日と、隊の桜も満開です。この桜ほど美しい桜を、私はまだ見たことがありません」(須賀芳宗、立大経済)

立大出身の須賀芳宗が書き残しているように、昭和二十年の春の九州の桜は、ずいぶん長い間美しく咲いていたらしい。そしてその桜の季節が、沖縄への特攻作戦の最もたけなわであった時期である。
 出て行く者は、みな飛行機や飛行服に桜の枝をさしてもらって出て行ったという。日本の歴史に、これほど痛ましい桜の花かざりはなかったであろう。

この本を読んでからは、桜が美しく咲いているのを見ると、「これと同じくらいかそれ以上美しい桜を、特攻隊員達も見たのだろうな」と思うようになった。
一番特攻が行なわれたという時期が、風景の寂しい冬ではなく、桜が満開の春で、本当に良かったと思う。彼等が最後に見た日本が、日本が一番美しい時で良かったと思う。出撃する彼等に手向ける物として、桜の花以上にふさわしい物は無いと思う。

▼桜の枝を持つ回天特別攻撃隊の天武隊員たち。


▼鹿児島知覧基地にて、沖縄へ向けて出撃する特攻機を、桜の花を振って見送る女学生たち。機上の特攻隊員は敬礼を返している。(自分の手持ちの本ではこの写真は2ページに渡っているので右半分しか載せられませんでしたが、有名な写真なので、きっとネット上に完全な写真があるはず…)

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以前、森山直太朗の「さくら」が好きだと書きましたが、この二つのフラッシュを見てからは、特に泣ける歌になってしまいました。この歌は私の中では「現代版 同期の桜」です。
真実はどこに
回天特別攻撃隊
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